さて、先日、知り合いのピアノの先生からお誘いを受け、食事会に行ってきました。
ウクライナ出身のタラスさんのご両親が福岡に来ているので歓迎会を開催との事。
音楽は好きなので、「是非お会いしてみたい!」と思い、ワクワクしながら会場に向かいました。
実は、タラスさんとお会いするのはこの日が初めて。お会いすると、とても知的で優しい雰囲気の好青年です。しかも、タラスさんは私に、タラスさんが指揮&演奏をしているCDをくださいました。さらに、サインまで(^^)
(早速家に帰って聞きましたが、一気に彼のファンになりました。音楽の音って、その人の「人となり」を表すと言いますが、本当に美しい音色で聴き惚れました。)
そして、このタラスさんのお父様とお母様との食事会が始まりました。
お母様が英語を少し話されるので、英語で会話をしました。とってもチャーミングで、朗らかな人です。
そして、何となくハミングが始まって、よく聞くと、何と昭和の名曲「恋のバカンス」!
後で調べると以下のようにwikiに書いてありました。
当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員が本曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込み積極的に展開、人気歌手ニーナ・パンテレーエワ(ロシア語)が1965年に「カニークルィ・リュブヴィー」のタイトルで大ヒットさせた(ロシア語のタイトルは「恋のバカンス」の直訳)。歌詞はその後もリバイバルされ、ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない人さえいるほど、現在のロシアでも世代を超えた有名曲となっている。
(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E6%9B%B2))「恋のバカンス」について
ここでは詳しくは割愛しますが、ウクライナは一時当時のソビエト連邦の構成国で1991年に独立しました。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」は、1963年に発表されているので、ソビエトの支配下にあったウクライナでも当然聞かれたのだと思います。
ウクライナ人との出会いで、日本の歌謡曲が当時のソビエトに渡っていた事を知り、驚きとともに、本当に出会いは楽しいなあと思いました。
タラスさんのママはウクライナ語で、私は日本語で「恋のバカンス」を合唱しました♪
それから、食事が終わった後では、タラスさんのママとパパが演奏をしてくださいました。

ママは、11歳でボーディングスクール(当時の特権階級の子息が通った学校)に入り、そこで歌を学んだそうです。
現在は、オペラ歌手として演奏をされています。
そして、パパは、ウクライナ独立記念日に、大統領の前でウクライナの国歌を演奏したほどの人です。
クラシックからジャズまで、楽譜なしの即興で演奏してくださいました。
素晴らしい演奏だったことは言うまでもありません
とても、とても、贅沢な演奏でした。
最後に、みんなで記念撮影。
タラスさんのお父様は英語が話せないので、会話はほとんどしていませんが、その高潔で明るい性格は演奏に滲み出ていました。
「音楽には、言葉がいらない」と、つくづく思いました。
音楽に限らず、スポーツや芸術は言葉なしでも通じるものがあります。
ゴッホ、ドガ、ロートレック、モネ、マネ等多くの著名な画家は日本絵画から影響を受けています。
英語(言語と言う意味で)はあくまでもコミュニケーションツール(道具)なので、道具を使って何をするのか、が大切なのですね。
でも、今回のように道具がなくても、それを超えるものがあれば、道具は必要ないのかもしれません。
ちなみに、私はカナダでバドミントンを通じて多くの友人を作ることができました。
地域のコミュニティセンターに、週に2回ほど通っているうちに、そこに来ている人達と一緒に食事に行くようになりました。
今でも、その仲間とは繋がりがあり、とても楽しい思い出です。
それでは、良い週末を♪
“Cheers”(じゃあね)
P.S. この記事を書いたのは2018年1月です。翌年の2019年にこのママが亡くなられました。ご冥福をお祈り致します。